私は普通なのか普通でないのか

実は、私には「自分はまわりに合わせている」という意識がありません。
合わせていないだけ?という突っ込みもアリですが、何とか会社員出来ているところを見ると、自由奔放ということはきっとないでしょう。
本(「私たち、発達障害と生きてます」など)や多くの方のブログを読むと、みなさんほんとにつらい経験をされていると思います。私には、具体的に「こんなつらいことがあった」と言えるものがあまりありません。
強いて言えば、小学生の頃、いつも「44対1だ」って叫んでいたことがあるくらいか。(当時は45人学級でした)
でも、アスペルガーのことを聞いた瞬間、私は「長年の謎が解けた」というはっきりした思いを持ちました。言葉にならない、40年余りずっと感じ続けてきた何かを。学校、職場だけでなく、趣味の集まりの中でも感じてきた何かを。
精神科医には、私が「人が簡単に受け答えするところを、私は頭の中でぐるぐる考えてから答えを出している?」と質問したとき、「そうだろう」と言われたものの、人がどういう思考回路をしているか知るすべもなく、ほんとにそうなのかわかりません。
説明が付かない思いに、最近苦しんでいます。何かアドバイス、示唆をいただけると幸いです。

でも、職場などで、無理してまわりに合わせているように見える人が結構います。同じく、本人はそのことに気付いていないのでしょう。
こういった思いを書くことは、もしかしたら必要なのかなとも思っています。

(2009/9/13 追記 この記事への補足を、コメント返信の中で書きました。出来れば、コメントも合わせて読んでいただけると幸いです。)


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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体

コメント

こんばんは

私の場合でいうと、反応が遅いので会話の内容によっては遅いために、その間が相手に悪いように誤解されることが多かったり、頭の中で早く反応しなければと必死に考えていると人や場合によっては、その表情から怒っているようにとられてしまうことがあったり、反応しても例えば本音と建て前の使う割合が定型の多くの人とは違っているので、そういうところで相手に誤解をよくされたりで、とにかく誤解されないように、どう受け取られるのかと必死に考え、いつも神経を使って合わせているなぁということが最近わかりはじめました。
他にもあるし、まだまだわかってないところがあるんだろうなと思います。
発達障害だとわかる前はもちろん、ごく最近まで、違和感やしんどさが具体的に何なのか、はっきりとわかりませんでした。
でも、発達障害というものを知ったときは、やっと答えを見つけたという思いはすごく感じられました。
私はわかる前からも合わせているという感覚や違和感を強く感じていたので、まささんの言っていることとは違うかもしれませんが。

No title

>職場などで、無理してまわりに合わせているように見える人が結構います。

私の場合は、「和をもって尊しとなす」ことを重んじ、自分を抑えて(自分が我慢できる範囲で)まわりに合わせています。職場ではいくら仕事のスキルが高くても協調性などを疎かにすると仕事が捗らなくなってしまうケースが多々あります。

会社の目的は順調な経営でしょう。その会社の一員として、皆がそれぞれの立場を活かし協力し合ってこそ、利益が生まれるというものです。そして、給料があるわけです。

会社だけでなく、あらゆる集団生活において、意識的に一生懸命まわりの状況を観察し、出来る限り合わせようとすることは、相手を理解し協調しようとする態度にも繋がり、生きていく上でとても大切なことのように思います。

まわりと上手くやっていこうと頑張っている真摯なASの人のブログや上記のタマさんのコメントは、大変好感をもてますし、応援したくなります。

説明のつかない事を考えあぐむのも一案ですが、ちょっと、気分転換して、意識してまわりに合わせてみるのは如何でしょうか?

まささんの事、応援してますv-290

Re: こんばんは

タマさん、詳しいコメントありがとうございます。
タマさんと私の状況、きっと「まわりに合わせている」「違和感」を意識出来ているか出来ていないかの違いだけで、非常に近いものと思います。
タマさんは、自分の発達障害に自分で気付いたのでしょうか。私は、友人言われて知りました。その点からも、私が「意識出来ていないだけ」ということが明確です。(私はそれまで「発達障害」という言葉すら知らなかったのですが。)
私も、自分の表現にまわりがどう反応するかをすごく研究?してきたように思います。でも、それがもう自分の中で当たり前になっているのか、自分が神経を使っているのかどうかすらよくわかりません。
でも、ブログ上などでやり取りしていくうちに、糸口がつかめそうな気がしています。
これからもよろしくです。

Re: AGさん

コメントありがとうございます。
> 職場などで、無理してまわりに合わせているように見える人が結構います。
言葉足らずですみません。これは、多数派を占めているという意味でなく、「発達障害かな?」と思う人が何人かいる(100人ほどに対して)、と見てください。その人たちが、ある意味けなげにまわりに合わせているという意味です。
改めて自分の記事を読み返すと、私は「人のことを考えない奴」に読めますね。私の表現力のなさゆえですが、ちょっと違うんです。長文ですが、記事の補足の意味も込めて書いてみました。
フェルデンクライスの講習で出てきた言葉を借りると、「どんな力も、その人の貴重なスキルである。絶対に「それを手放せ」とは言わない。ただ、自分で意識出来るようになり、そのスキルを使う/使わないを自分で選択できるようになれば、それは『癖』から本当の『スキル』になる」と。
長くなりましたが、「まわり合わせている」ことも、その人の貴重なスキルと思っており、応援しています。私についても同じ。ただ、それを使っていることを意識できなければ、それを能力として活用できません。「けなげに合わせている」に終わってしまいます。発達障害者が社会で活躍するには、「意識すること」が必須ではないかと考えています。
私自身のことですが、自分の発達障害を知る何年か前に、ある人に「あなた、何があったか知らないけど、よくここまで我慢してきたね。あなたの場合、自分でそのことがわかっているから、たちが悪い。このまま年を取ったら腐ってしまうよ。」と言われたことがあります。このときも、自分の謎が解けた気がしました。今なら、「腐ってしまう」も、=「二次障害を起こす」で説明が付きます。
よって、まだまだ不十分ながらも、私はかなりまわりに合わせてきたと考えることにしています。
さらにまわりに合わせていくことも続けていきますが、合わせている自分に気付き、その主導権(使う/使わない)自分に取り戻すことを急務にしていきたいと考えています。
職場では、私はよく「相手への敬意」という言葉を使います。きっと、定型者から見れば、未熟で、穴だらけのものでしょうが、協力し合うこと、敬意を持って関わることを実践してきた結果、部分的ではありますが、まわりも変わってきています。「協調性」とは関係ない、単なる自己主張かもしれませんが、例として付け加えました。

こんにちは

私の場合は自分で捜し当てました。
2次障害がひどかったというのもあり、精神科へ診察を受けにいったのですが、何か納得できずいろんな病院を渡り歩き、その中で発達障害に詳しい病院に運良く行く機会があって、そこのカウンセラーが気づいてくれたんです。
私もそれまではカナータイプの自閉症しか知らなかったので、まさか自分が自閉症だとは思いもしませんでした。


追記も読ませてもらいました。
始めの文では気づかなかったのですが、切羽詰まったような追い込まれている感じが伝わってきました。
私は違和感やしんどさに突き動かされてきたので、まささんの状態を想像するのは難しいのですが、何か少しでも力になれればと思っています。
私も障害のことなどを話せる人ができて、やりとりすることでより自分のことをわかっていければと思います。
こちらこそ、よろしくお願いします。

人間って何らかの関係で結ばれていて、支え合い、影響しあって生活しているのではないでしょうか?

最近は私は周りの人達が気持良く触れ合う事が出来たらって考える様になりました。

人間って誰でも頭の中で考えて会話している気がしますけど。

Re: こんにちは

タマさんは、やはり自分で捜し当てたのですね。
そう、発達障害は従来の「自閉症」のイメージでは絶対に解けません。私の発達障害を見つけ出した友人も、わざわざ自閉症の分野を外して捜していたそうです。
私は、「自閉」=「自立」と考え、自閉圏にいることを肯定的にとらえることにしています。
追記の感想、ありがとうございます。その通りで、いろんな点で切羽詰まった感覚を持ったまま、日々を過ごしています。お互いの経験を話すことで、自分のことが見えてくる気がしています。ぜひ力になってください。タマさんの力にもなれればと思います。今後ともよろしくです。

Re: Mひろさん

コメントありがとうございます。趣味つながりの人から、その趣味以外に記事にコメントいただくのは、ほんとにうれしいです。ブロガー冥利に尽きます。
人は、ほんと影響しあって成長していくと思っています。それも年齢に関係なく。きっと私も、多くの人に迷惑かけながら、いろんなことを吸収してきたのだろうと思っています。
努力信奉の日本では、いろんな点で「気持ち良い関わり」がないがしろにされがちですが、人が成長する根っこはここにあると思っています。自転車仲間は、それが自然に出来ていますね。かなり過酷な状況で時間を共有する中で、必然的に気持良く触れ合う事の必要性(努力信奉だけでは成長できないこと)に気付くのかなと思っています。私にとって、ほんとに大切な仲間たちです。

こんばんは

そんな友人を持たれていて良いですね。羨ましいです。
「自閉」=「自立」という肯定的な考え方は、前向きで良いなぁと思いました。
私も、少しずつでも肯定的に受け入れていけたらと思います。
それには、もっと深く理解して整理していかなければなと感じます。


1つ聞きたいことがあるのですが、いいですか?
まささんは、周りに合わせているという感覚や神経を使っていること、違和感なども感じないということですが、では何が、まささんを切羽詰まらせるような感覚にさせてしまうのでしょうか?
もし、その感覚に合う言葉があれば、良かったら教えてください。
私には、どういう状態なのかどうしても想像できないので。

Re: こんばんは

タマさん、こんばんは。
私は、そういった仲間に助けられてきたという思いを強く持っています。この経験を他の仲間たちに伝えていくことは、私の役割のひとつかもしれないと思っています。
自閉=自立は、まわりに合わせられない=自分の行動を自分で決めている、言い換えるとわかりやすいでしょうか。大きな話でなく、ごく日常のことです。でも、これはすごく大切なことで、私たちは大きな力を持っているのです。
この記事では、冒頭に「まわりに合わせているという意識がない」と書いたので、違和感など感じていないように読めますが、実は逆の意味で書いたつもりだったのです。つまり、意識していないだけで、無意識でまわりに合わせている可能性が高い、と。
間違いを恐れずに書くと、相手に違和感を抱かせないようにするために、常に大きな労力を使っており、その労力や「違和感を発生していないだろうか」という神経をとがらせた状態に疲れ、切羽詰まっている可能性があると書きたかったのです。
特に私の場合、情緒や共感といった部分が抜け落ちているので、「普通はこういうときこう反応する」というパターンを頭の中にたくさんメモリーしておき、状況に応じて使い分けている可能性があります。それが、記事の「人が簡単に受け答えするところを、私は頭の中でぐるぐる考えてから答えを出している?」なのです。
ただ、普通の人の感覚を知る由もないので、私からは「可能性がある」としか言えません。
少しつかんでもらえたでしょうか。

こんにちは

なぜか、途中で切れていたので、もう一度載せました。こちらを読んでください。


「自閉」=「自立」について、そう言い換えてもらえるとわかりました。
間違っていたようですね。すみません。
そういう捉え方をすると、普段は周りとの違いで生きにくさばかりが気になりますが、ある意味、自由でもあるんですね。

質問に答えてくれて、ありがとうございます。
少し、わかるような気がします。
まささんが説明してくれたことを読んでいると、今まで入ってきた情報の中で思い出した言葉は、発達障害の人への療育などはパターン的に何通りもの対応の仕方を覚えさせて引き出しを作っていくや中にはIQが高い人は支援を受けないまま試行錯誤して自分なりの人との接し方を開拓できている人もいるだろう的なことです。
私も人の感情、行動パターンを必死に頭に詰め込んで対応しようとしてきました。
でも、実際に動くとなると私の場合は頭が周りのスピードについていけなかったり、行動までする余裕がなくなったりで、結局は誤解などをよくされて関係が悪くなっていきました。
逆に考えれば、そのせいもあって私は気づきやすかったのかもしれません。
その点、まささんはやってのけてしまうことが多かったのではないでしょうか。
まだ、まささんのことをよく知らないので間違っていたらごめんなさい。
推測ですが、そう感じました。
できるけど、定型の人より労力を何倍も使っていて、私のように意識しにくいのはうまく対応できることが多かったのと、ずっと長い間、頭だけで動いてきたからではないかと。
1つの推測ですが、説明を読んで、少しわかるようなところから思い浮かびました。
見当外れでしたら、ほんとにすみません。

No title

>無意識でまわりに合わせている可能性が高い、と。

無意識ってことは自分の意志ではないから、まささんの言う
自閉=自立と矛盾するような?

まわりに合わせているかどうかについてですが・・・
意識的に合わせている自覚があるのならそれを主張できますが、
無意識ならば、自覚がないのであくまでも憶測にすぎませんね。

この言葉(無意識)ちょっと誤解を生みそうな気がします。
本当に妥当な言葉なのですか?

>相手に違和感を抱かせないようにするために、常に大きな労力

無意識に相手に合わせ、無意識に相手に違和感を抱かせないようにするために、
無意識に常に大きな労力・・・となるのですか?

無意識に相手に合わせ、突然、相手に違和感を抱かせないように意識的に言動し
そして労力を意識的に感じるの?(論理的にどうなんだろ?)

>ぐるぐる考えてから

無意識にぐるぐる考えるのですか?それとも意識的に?

AGなりに、まささんの切羽詰った心境を解放する方法を暗中模索しようとしましたが、
一番初めから、引っ掛かってしまってv-436

上記の文で何らかのまささんの心境の解放への取っ掛かりがあるとよいのですが・・・
(へっ?ますます切羽詰ったって?だったらご免なさい)

Re: こんにちは

タマさん、そうです。自閉圏の者は自由なんですよ。多数派に従属しないのです。
タマさんも、行動パターンを詰め込んできたのですね。私の場合は、何とか許容してもらえる友達や集まりの中で育てられてきたようです。学校にいる時間のごくわずかでも、楽しい時間があったことで、何とかやってこれたのかな。「やってのけてしまう」部分もないわけではないですが、ほんとぎりぎりですし、がんばってきた分、ストレスが蓄積されている可能性があります。
ここでは、遠慮なくいろんな仮説を挙げてくださいね。みなさんの力を借りて、自分の状態を探っていこうとしていますので。

Re: AGさん

長く、狙いがつかめない私の返信への再コメ、ありがとうございます。
今回の記事は、ひとつの「実験」と位置付け、「結果」と「考察」に分けて書いています。「何とか会社員で来ている」という事実「結果」に対し、いくつかの仮説「考察」を記し、さらにそれに対する議論がなされています。
結果以外は、すべて「(その)可能性がある」など、推論であることを明記しています。「こうだ」とは書いていません。それにより、私も読まれている方も、自由に推論を述べることができるわけです。
さて本題ですが、私は、無意識は立派な意思と考えます。ここに大きな違いがあるでしょう。
無意識(潜在意識)による自身の制御があるから、嫌なもの、危険なものを避け、生き延びれていると思います。特に私は、無意(潜在)識を意識化するところに大きな障害がありますから、誰よりも無(潜在)意識の領域を大切にする必要があると考えています。これを意思と呼ばずして、何と言いましょう。
また、無意識に労力を使っていても、疲労は出ますね。あとの疲労の状況(意識されたもの)から、そのときに使った労力を推定することも、ひとつの手法では。そういった、水面上に現れた断片的な情報(意識)から、水面下(無意識)で行われているものを推測しようとするのは、決して間違った手法ではないでしょう。
科学って、たいていこういう作業なのです。未知のものを、わずかな手がかりをもとに、推論を立てながら明らかにしようとする作業。でも、たいていは未知の部分が残る。その繰り返し。だから面白いのです。
答えになっていなくてすみません。私の心境の解放は、、、ま、あわてず急がずです。

No title

私は別にまささんの考察や推論を否定すべくコメントをしているわけではありません。

>何かアドバイス、示唆をいただけると幸いです。

という文があったので、AGなりに考えてコメントしていました。

単に「頑張って下さい。応援してます」くらいが無難だったのかもしれませんね。

自由に推論するだけの場だとわかっていたら、コメントしませんでした。

すみませんでした。

5000アクセスおめでとうございますv-315

まささんは、そんなAG(のコメント)にも無意識に合わせようとしたのかしら?

Re: AGさん

5000アクセスへのお祝い、ありがとうございます。
アドバイスを素直に受け取らなかったのは私です。反省しています。
今回は、私が最初の「ボタンの掛け違え」をしています。ここでは「ボタンの掛け違え」だけを明らかにして、今後の記事でのやり取りにつなげたいと思います。
実は、「『自分はまわりに合わせている』という意識がありません。」という私の冒頭の1行から、「ボタンの掛け違え」が始まっていました。自分が感じていることを言葉で表現することの困難さゆえかもしれません。
書き直すと、「私は、無理に人に合わせているという意識はありません。でも、長年あらゆる場面で人に合わせてきているように思っています。ただ、本当にそうなのかは、自分ではわかりません。」です。
自分の心の中では、こう書いたつもりだったのです。
実際に書かれた文章から、「意識してまわりに合わせてみるのは如何でしょうか?」という言葉をいただくのは、当然のことです。でも、私の心の中は違ったのです。「なぜ? まだまわりに合わせないといけないの?」って。
そこから、「私はあらゆる手段を使ってまわりに合わせてきているんです。」という言葉の応酬に入ってしまったわけです。
申し訳ございません。
無難な言葉やなぐさめでなく、ストレートな意見を出し合うのが、私のブログの基本です。これからも正直なコメントをいただけると幸いです。よろしくお願いします。

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まさ(climbmasa)

Author:まさ(climbmasa)
40歳を過ぎて、人とちょっとだけ違う自分に気付きました。ここでは、自分が感じたことを、そのまま表現していきます。
広汎性発達障害(アスペルガー症候群)の当事者です。「人並み」ができず、いろんな場面で苦戦していますが、多くの人に助けられながら生きています。
このブログを通じて、少しでも多くの人に発達障害のことを知ってもらえればと思います。
「自己紹介」カテゴリに、私のプロフィールを置いています。

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