思っていることと行動の乖離-企業の生産性への考察

「企業社会と私」シリーズその3です。今回は、2回にわたって書いてきたことを考察してみました。推論も入ります。
各企業で「成果主義」が導入されてから、なぜ多くの人は「変」と思いつつも、その流れに合わせてきたのか、なぜ私はその流れに反する行動を取り続けてきたのかを考えてみました。
記事を書きながら思いついたのが、「多くの人は、自分の考えと実際の行動(言動)を乖離(かいり)させることが可能で、私にはそれが出来ないのではないか」です。
個人の目標管理シートに書いたいくつかの業務だけでは、自分の仕事を網羅できないばかりか、チーム全体で挙げた成果も反映困難なわけで、「成果主義」に問題があることは誰もが気付いていたでしょう。(問題点は他にもあります)
しかし、実際には多くの人がその「成果主義」に順応していきました。これは、自分の考えを横に置き、会社の方針(=まわりの流れ)に合わせていったのだろうと考えています。つまり、自分の考えと実際の行動の乖離です。
「まわりの流れに合わせる」ことを「定型者の共感能力ゆえ」と言うのは、ちょっと短絡的かもしれませんが、多くの人は自分の考えよりまわりに合わせることを優先することが出来、私にはそれが出来なかったと考えるのが自然ではないかと思っています。

多くの人が「成果主義」に順応した結果、目標管理シートに書いたこと以外はしない、協力し合わない、先に保身を考える人が多数を占め、モチベーション(労働意欲)が明らかに低下しました。会社の業績(生産性)も低迷しています。
私はこれを、自分の考えと乖離した、主体性のない行動が常態化したことによる必然的な結果と考えています。主体的に取り組めない事に対しては、誰もがやる気のない「やっつけ仕事」になって当然でしょう。
そこで、自分の考えと実際の行動を乖離することが出来ない、「おかしい」と言い続ける者の存在は、会社の生産性にとって不可欠ではないでしょうか。私は、まわりに合わせることが出来ませんでしたから、「おかしい」と言い続けるしか選択肢がなかったわけですが、ある意味、主体性を持ち続けたのかもしれません。
会社のこの状況を、「おかしい」と言う少数意見を無視した結果と言うのは、言い過ぎでしょうか。

ただし、私は会社の中を、定型者と発達障害者の対立の構図ではとらえていません。私の勝手な推測ですが、定型者と発達障害者が非常に複雑な構図をつくっていると見ています。
「もしかしたらアスペルガーかも」と思う人が会社に何人かいますが、私と正反対で、「成果主義」の流れにうまく乗る人の方が多いです。「成果主義」は言葉(文書化)が重視されるので、その方が自然かもしれません。
なお、彼らは定型者と違って主体的に「成果主義」に取り組んでおり、自分の考えと実際の行動の乖離がありません。現象は異なりますが、根っこは私と共通していると考えています。憶測の領域なので、これ以上具体的には書けませんが、彼らはすばらしい能力を発揮しています。

今回は、荒削り(+下手な文章)ではありますが、「企業の生産性」につなげて考察してみました。強引なところもあると思いますので、何かと指摘いただけると幸いです。

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(追記が少しあります。今回のテーマに付随することです。よかったらどうぞ。)
古典的な言い方ですが、「成果主義」による「自分の考えと実際の行動の乖離」は、「労働の自己疎外」と呼んでもいいのではと考えています。
私は、現代社会では、労働に限らずあらゆる場面で「自己疎外」が起こっていると思います。家電品、車、ケータイなど、身の回りのほとんどのものにマイコンが搭載され、自分で使い方を考えるのでなく、マニュアル通りに操作することが求められ、自分で考える機会がどんどんなくなっています。日常生活でも、主体性を持てない場面が非常に増えたと考えています。
「自分の考えと実際の行動の乖離」は「成果主義」だけがもたらしたのでなく、こういう社会情勢も大きく関係しているのではないかと考えています。
「主体性を取り戻す」ことは、実は日常生活とも関係していると考える、今日この頃です。

テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体

コメント

明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします(*・ω・)*_ _))ペコリン

いろいろ考えさせられる記事ですね。
うまく感想をまとめられないんですが、大多数の流れに乗れない少数派にとって(私もですが)、成果主義は諸刃の剣となるのではないでしょうか。
うまく流れに乗れればいいけれど、乗れなければ取り残される。
困ったものです(*´-д-)フゥ-3

Re: 明けましておめでとうございます

はらぺこるいさん、今年もよろしくお願いします。
そう、「適当に合わせておく」ことが出来ない私たちにとって、成果主義は、追い風になるかやりにくくなるかのどちらかになってしまいますね。さらに、今の「成果主義」は個人の成果(成績)がベースになっているため、チームや部署間の協力関係が薄れ、追い風になった人にとっても、仲間と作り上げる「やりがい」を感じられない気がしています。これでは、会社としての業績も上がりませんね。(その問題点に気付いて、評価方法を見直している企業も多いようですが。)
でも、評価する上司が、部下の数値化しにくい成果までをちゃんと見極めていれば、個人主義やモチベーションの低下を招くことはなかったと思っています。評価する側までもが、輸入ものである「成果主義」のうわべだけを拾って、主体性なしに運用した結果ではないかと。つまり、「成果主義」の弊害は、定型者を中心とした「雰囲気に流される」特性を持つ人たちによってつくられたものではないかと考えています。
発達障害者に限らず、雰囲気に流されない少数派って大切なんだと思っています。

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Re: 鍵コメさん

コメントありがとうございます。
「成果主義」が思いやる心を失わせてしまった、ほんとそう思います。
ただ、本で読む限りですが、本場アメリカなどでは、成果主義はすべての従業員に適用できるものでない、目標設定に書かれたものだけで評価できるものでないことを、ちゃんとわかっているようです。
実際、「It's not my business.(それは私の仕事でない)」だけで会社がやっていけるはずなく、それを補完する何かがあるはずです。日本の「成果主義」は、その「補完するもの」を導入せず、上っ面だけ、それも日本的「横並び(全員一律)」に取り入れたからおかしくなったと考えています。成果主義そのものが悪いとは考えていません。
この記事も参考にどうぞ。
http://climbmasa.blog86.fc2.com/blog-entry-125.html
日本の学校教育も、もちろん「結果だけ」の傾向があります。若者が「結果だけ」を当たり前にように受け入れている、確かにそう思います。ただ、これは若者の問題でなく、社会全体の問題でしょう。
社会全体に「結果だけ」が広まったのは、ここ10年ほどのことでしょう。不況・就職難といった情勢によるものだけでなく、コンピュータ化といった「下部構造」(モノ)の変化が「上部構造」(意識)の変化をもたらたと考えています。(この記事の追記部分を参考にしてください)
よって、私は「特に若者が」とは思いません。ただ、若者は「結果だけ」以外の選択肢を学ぶ機会を奪われている、と言えるかもしれません。言わば、若者は被害者でしょう。
絶望的な状況ですが、私は、この記事の主旨の通り「仕事においても自分自身を取り戻す」ことに、解決の糸口があると考えています。もちろん、そこに企業の生産性向上のカギもあると考えます。

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Re: 鍵コメさん

謎やもやもやを解くきっかけになるとうれしいです。
教育現場、私が想像する以上に大変なようですね。
いろんなことが絡んでそうなっているのでしょう。
他の記事でも、何か気付くことがあればコメントくださいね。

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まさ(climbmasa)

Author:まさ(climbmasa)
40歳を過ぎて、人とちょっとだけ違う自分に気付きました。ここでは、自分が感じたことを、そのまま表現していきます。
広汎性発達障害(アスペルガー症候群)の当事者です。「人並み」ができず、いろんな場面で苦戦していますが、多くの人に助けられながら生きています。
このブログを通じて、少しでも多くの人に発達障害のことを知ってもらえればと思います。
「自己紹介」カテゴリに、私のプロフィールを置いています。

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