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企業の中での「定型者と発達障害者のいい関係」を考える
「企業社会と私」シリーズその4です。前回(その3)は、多くの人と私の考えと行動の違いについて考察してみました。今回は、そこから企業の中で定型者と発達障害者がいい関係をつくれないかを考えます。
私は、定型者と発達障害者は補完しあう関係であるべきではないかと考えています。
まわりの雰囲気に流され、自分の考えと乖離した主体性のない行動を取る定型者だけでは、会社は活気を失い、業績も低下してしまいます。まじめで「何となく合わせる」ことが出来ない発達障害者は、そういう状態に警鐘を鳴らす大切な存在のはずです。
しかし、前回触れた、「成果主義」の波に乗る「アスペルガーかな」と思う人たちは、「言葉通り」が優先する雰囲気の中で非常に大きな力を発揮しますが、能力の凸凹ゆえ、どうしても一面的になりがちです。特に、今の「成果主義」は、表面的な成果しか見ていないという矛盾を抱えており、全体を考えない偏った方向に進みかねません。
多面的に見ることが出来るのは、定型者本来の特性。自立した(=流されない)定型者による「軌道修正」があって、初めてバランスの取れた方向に向かうと思います。
発達障害者は、どちらかといえばスペシャリスト。ゼネラリストと補完しあういい関係をつくることで、企業の生産性が向上していくのではと考えています。
「企業社会と私」シリーズは、次回、私がこの記事を書いた理由を簡単に記して、ひとまず締めくくろうと考えています。
今回もぜひ押して行ってください。

こちらへもどうぞ。

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(追記を少し書きました。)
これは私の憶測ですが、会社内には、大きな力を発揮している彼ら以外にも、「発達障害(アスペ、ADHD)かな?」と思う人が何人もいます。その人たちは、弱点を何とかクリアーしながら、けなげに「普通の人」をしています。(その人たちは、自分を発達障害とは思っていないと推定しています。)
彼らは、「普通の人」するために相当な労力を消費していることでしょう。これでは、本来の力は出せません。会社として大きな損失のはずです。
個人完結型の「成果主義」を見直し、日本企業の特長でもあったチームプレー(短所をチーム内で補完しあい、長所を伸ばす業務分担)を取り戻すことが、「成果主義」で低迷した今の企業の打開策だと考えています。
私は、定型者と発達障害者は補完しあう関係であるべきではないかと考えています。
まわりの雰囲気に流され、自分の考えと乖離した主体性のない行動を取る定型者だけでは、会社は活気を失い、業績も低下してしまいます。まじめで「何となく合わせる」ことが出来ない発達障害者は、そういう状態に警鐘を鳴らす大切な存在のはずです。
しかし、前回触れた、「成果主義」の波に乗る「アスペルガーかな」と思う人たちは、「言葉通り」が優先する雰囲気の中で非常に大きな力を発揮しますが、能力の凸凹ゆえ、どうしても一面的になりがちです。特に、今の「成果主義」は、表面的な成果しか見ていないという矛盾を抱えており、全体を考えない偏った方向に進みかねません。
多面的に見ることが出来るのは、定型者本来の特性。自立した(=流されない)定型者による「軌道修正」があって、初めてバランスの取れた方向に向かうと思います。
発達障害者は、どちらかといえばスペシャリスト。ゼネラリストと補完しあういい関係をつくることで、企業の生産性が向上していくのではと考えています。
「企業社会と私」シリーズは、次回、私がこの記事を書いた理由を簡単に記して、ひとまず締めくくろうと考えています。
今回もぜひ押して行ってください。

こちらへもどうぞ。

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(追記を少し書きました。)
これは私の憶測ですが、会社内には、大きな力を発揮している彼ら以外にも、「発達障害(アスペ、ADHD)かな?」と思う人が何人もいます。その人たちは、弱点を何とかクリアーしながら、けなげに「普通の人」をしています。(その人たちは、自分を発達障害とは思っていないと推定しています。)
彼らは、「普通の人」するために相当な労力を消費していることでしょう。これでは、本来の力は出せません。会社として大きな損失のはずです。
個人完結型の「成果主義」を見直し、日本企業の特長でもあったチームプレー(短所をチーム内で補完しあい、長所を伸ばす業務分担)を取り戻すことが、「成果主義」で低迷した今の企業の打開策だと考えています。
テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体
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コメント
補完しあう存在
遅くなりましたが……謹賀新年
もう5日ですが、とりあえず新年のご挨拶など……。
本年も宜しくお願いしますね。
企業社会の中で、当事者はときと場合によっては「俺は俺、私は私」であってもよいのではないか、と感じました。勿論始終そうであってはいけないのでしょうけれども……。
本年も宜しくお願いしますね。
企業社会の中で、当事者はときと場合によっては「俺は俺、私は私」であってもよいのではないか、と感じました。勿論始終そうであってはいけないのでしょうけれども……。
Re: 補完しあう存在
まゆイヌさん
そうですね。企業の中は役割分担と協力(チームワーク)で成り立っているのですから、成果の形は多様です。きっと、上層部からの一面的な評価方針に惑わされず、その成果の多様さをちゃんと見極められる上司ばかりなら、こんなことにならなかったと思います。上司も「まわりに流される」(=自分の意志を貫けない)定型者が多いからでしょうね。多数派は、少数派になることを極度に恐れますから。
「補完しあう関係」の補足を、次の記事に書きますね。「正-反-合」(弁証法)の関係は、必ず企業のみならず社会を発展させますから。
そうですね。企業の中は役割分担と協力(チームワーク)で成り立っているのですから、成果の形は多様です。きっと、上層部からの一面的な評価方針に惑わされず、その成果の多様さをちゃんと見極められる上司ばかりなら、こんなことにならなかったと思います。上司も「まわりに流される」(=自分の意志を貫けない)定型者が多いからでしょうね。多数派は、少数派になることを極度に恐れますから。
「補完しあう関係」の補足を、次の記事に書きますね。「正-反-合」(弁証法)の関係は、必ず企業のみならず社会を発展させますから。
Re: 遅くなりましたが……謹賀新年
paix31415さん、今年もよろしくです。
そう、基本は「俺は俺、私は私」ですね。その次の段階としての「協力関係」だと思います。新しいことは、知らなかったことを知ることからしか起こりません。つまり、それぞれが持っていないことの共有から始まるはず。
今の「成果主義」(目標管理シートに書く業務課題)では、予期できない「新しいこと」を評価できないため、協力関係が崩れ、モチベーション低下や保身が起こったのでしょう。
発達障害者は、企業の健全さを計るバロメーターになり得るかもしれません。
そう、基本は「俺は俺、私は私」ですね。その次の段階としての「協力関係」だと思います。新しいことは、知らなかったことを知ることからしか起こりません。つまり、それぞれが持っていないことの共有から始まるはず。
今の「成果主義」(目標管理シートに書く業務課題)では、予期できない「新しいこと」を評価できないため、協力関係が崩れ、モチベーション低下や保身が起こったのでしょう。
発達障害者は、企業の健全さを計るバロメーターになり得るかもしれません。
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定型発達の方は確かに、ゼネラリストだと感じます。スペシャリストとゼネラリスト、それぞれの良い面を補い合って、より良い仕組みを作って行くのがベストだと思います。ただ、なかなか、現在の情勢では聞く耳を持って貰えないかも知れないですよね(__;)
「なんとなく」合わせる事ができない発達の者のメリット、もっと広く社会に認識されれば良いなぁ、と感じています。