風を感じて
いろんな風を感じて生きています。
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「内と外」を分けない関係とは?
このブログには、「内と外(を分ける/分けない)」という言葉がしばしば登場します。人との関わりのことです。
過去記事を検索すると、8件ヒットしました。それらの記事から抜粋してみました。
今回の記事は、このテーマで新たな記事を書くための材料です。ちょっとの間お付き合いください。
私は、初対面の人に声をかけるのが平気です。関わりたいと思う人には遠慮なく近付きます。人に誘われたときも、「面白いかも」と思えばすぐに食い付きます。
その代わり、私はどこに行っても群れないのです。自転車やお芝居など趣味の仲間だけでなく、発達障害当事者の集まりでも、私はひとりでいることが多いのです。・・・私の群れない特性は、「内と外」(仲間と仲間以外)を区別できないためかもしれません。例えば、私は「家族の絆」といったものがよくわからないようです。これは非常に悲しいことかもしれません。
しかし、「外」にあたる社会のこと、私にとっては遠いことでないのです。「自分のこと=社会のこと」なのです。
「1万アクセス突破に深く感謝-人と人がつながる場を目指していきます-」(2010年3月16日)
「群れない」「内と外を分けない」という私の特性から、私には人と人をつなぐ「橋渡し」の役割があるかもしれない、ということに、最近気付きました。知らない分野の人と交流することのすばらしさに出会う、懸け橋になるブログを目指していきます。
「2万アクセス突破に深く感謝-懸け橋ブログを目指します-」(2010年11月2日)
さて、企業に勤める現代人はどうでしょう。多くの人が、「内と外」を分けて仲間グループ(大企業なら派閥と呼ぶのでしょうか)に利益誘導を図ろうとする共依存的な関係は、何ら変わっていないように思います。少なくとも、私が勤めている会社は、そのものです。
今の社会の閉塞感が、これと関係していると考えるのは、飛躍し過ぎでしょうか。
「秋の週末その2-観劇レポート2本です」(2010年11月25日)
理屈より「何となく」が優先する「内」の関係、これを「共感」と呼ぶのでしょうか。それが発達障害者に向くと、「何となく『変』」になってしまうことを。
「内と外」を分ける人たちには、「内と外」を分けない私の行動が不可解なようです。恥ずかしながら、私はつい最近までこれらのことに気付きませんでした。
「発達障害者ならではの人との関わりがある-かけ橋シリーズ第3話」(2011年1月3日)
さらに、「内と外」を分ける定型者の特性が、まわりに合わせることが優先して、相手を自分自身の力で見ることが出来ない「二次障害」かもしれない、という仮説を立てました。
私は、「コミュニケーション障害」という言葉が、発達障害者へ一方的に与えられるものでなく、定型者にも同様に与えられるべきと考えます。そして、お互いのよさを認め合うことで、はじめて社会が発展するものと考えています。
「かけ橋シリーズまとめ(第5話)」(2011年1月11日)
さらに、私はひとつ付け加えます。多数派が自分らしく生きられているか? 私は「No」だと考えています。「普通」の呪縛にとらわれて、「普通」でない者に対し、「笑い、通り過ぎる」ことしか出来なくなっていると。
「『人間様が大っ嫌いで、でも死ぬほど好き。』-堀川ひとみと共に社会へ発信する」(2011年2月18日)
小柄な彼女は、屈託のない笑顔でいろんなお客さんの席まで行っておしゃべりし、かわいがられていました。
彼女のおかげで、私も初対面のいろんな方とおしゃべりすることが出来ました。私が彼女のいるところへ近付くだけで、そのお客さんから話しかけていただけるのです。・・・娘さんの「内と外」を分けない関わり方、今の社会に一番必要なことと思います。私も、彼女から学ぶことがたくさんあります。
「Jazzライブ初体験レポート!」(2011年3月24日)
私が中野マリ子さんを知ったのは、1990年頃のこと。細々ですが、20年以上の知り合いです。
マリ子さんの「内と外を分けない」人との関わりに、私は大きな影響を受けています。
「中野マリ子『魂の棲み処展 マリ子祭り』の案内です☆写真追加しました」(2011年4月12日)
次回は、「内と外」について私が考えていることをまとめてみたいと思います。
気付くことがありましたら、ぜひコメントをお寄せください。よろしくです。
ブログ村のランキングに参加しています。今回もぜひ押して行ってください。
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ついでに、お立ち寄りのしるしとして「拍手」にも一押しよろしくです。
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私は、初対面の人に声をかけるのが平気です。関わりたいと思う人には遠慮なく近付きます。人に誘われたときも、「面白いかも」と思えばすぐに食い付きます。
その代わり、私はどこに行っても群れないのです。自転車やお芝居など趣味の仲間だけでなく、発達障害当事者の集まりでも、私はひとりでいることが多いのです。・・・私の群れない特性は、「内と外」(仲間と仲間以外)を区別できないためかもしれません。例えば、私は「家族の絆」といったものがよくわからないようです。これは非常に悲しいことかもしれません。
しかし、「外」にあたる社会のこと、私にとっては遠いことでないのです。「自分のこと=社会のこと」なのです。
「1万アクセス突破に深く感謝-人と人がつながる場を目指していきます-」(2010年3月16日)
「群れない」「内と外を分けない」という私の特性から、私には人と人をつなぐ「橋渡し」の役割があるかもしれない、ということに、最近気付きました。知らない分野の人と交流することのすばらしさに出会う、懸け橋になるブログを目指していきます。
「2万アクセス突破に深く感謝-懸け橋ブログを目指します-」(2010年11月2日)
さて、企業に勤める現代人はどうでしょう。多くの人が、「内と外」を分けて仲間グループ(大企業なら派閥と呼ぶのでしょうか)に利益誘導を図ろうとする共依存的な関係は、何ら変わっていないように思います。少なくとも、私が勤めている会社は、そのものです。
今の社会の閉塞感が、これと関係していると考えるのは、飛躍し過ぎでしょうか。
「秋の週末その2-観劇レポート2本です」(2010年11月25日)
理屈より「何となく」が優先する「内」の関係、これを「共感」と呼ぶのでしょうか。それが発達障害者に向くと、「何となく『変』」になってしまうことを。
「内と外」を分ける人たちには、「内と外」を分けない私の行動が不可解なようです。恥ずかしながら、私はつい最近までこれらのことに気付きませんでした。
「発達障害者ならではの人との関わりがある-かけ橋シリーズ第3話」(2011年1月3日)
さらに、「内と外」を分ける定型者の特性が、まわりに合わせることが優先して、相手を自分自身の力で見ることが出来ない「二次障害」かもしれない、という仮説を立てました。
私は、「コミュニケーション障害」という言葉が、発達障害者へ一方的に与えられるものでなく、定型者にも同様に与えられるべきと考えます。そして、お互いのよさを認め合うことで、はじめて社会が発展するものと考えています。
「かけ橋シリーズまとめ(第5話)」(2011年1月11日)
さらに、私はひとつ付け加えます。多数派が自分らしく生きられているか? 私は「No」だと考えています。「普通」の呪縛にとらわれて、「普通」でない者に対し、「笑い、通り過ぎる」ことしか出来なくなっていると。
「『人間様が大っ嫌いで、でも死ぬほど好き。』-堀川ひとみと共に社会へ発信する」(2011年2月18日)
小柄な彼女は、屈託のない笑顔でいろんなお客さんの席まで行っておしゃべりし、かわいがられていました。
彼女のおかげで、私も初対面のいろんな方とおしゃべりすることが出来ました。私が彼女のいるところへ近付くだけで、そのお客さんから話しかけていただけるのです。・・・娘さんの「内と外」を分けない関わり方、今の社会に一番必要なことと思います。私も、彼女から学ぶことがたくさんあります。
「Jazzライブ初体験レポート!」(2011年3月24日)
私が中野マリ子さんを知ったのは、1990年頃のこと。細々ですが、20年以上の知り合いです。
マリ子さんの「内と外を分けない」人との関わりに、私は大きな影響を受けています。
「中野マリ子『魂の棲み処展 マリ子祭り』の案内です☆写真追加しました」(2011年4月12日)
次回は、「内と外」について私が考えていることをまとめてみたいと思います。
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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体
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コメント
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Re: 鍵コメさん
コメントありがとうございます。
これらの記事から、一番伝えたかった「環境と自分がつながっている」を読み取っていただけたのは、うれしい限りです。「環境に生かされている」から、「共生」ですね。
この記事の続編、なかなか進みませんでしたが、これで書けそうです。
これからもよろしくお願いします。次はぜひ公開で。
これらの記事から、一番伝えたかった「環境と自分がつながっている」を読み取っていただけたのは、うれしい限りです。「環境に生かされている」から、「共生」ですね。
この記事の続編、なかなか進みませんでしたが、これで書けそうです。
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