もしかして発達障害と関係していた?「私が学んだ女性学」

新カテゴリ「社会との関わり」の第2弾です。私が社会の問題について考えてきたことを書いていきます。このカテゴリの記事は重くなりがちなので、できるだけわかりやすいテーマから扱っていきます。
今回は、「女性学」と呼ばれる領域の話です。男の私がなぜ? と思われる方も多いと思いますが、それは一旦置いておいて、読んでみてください。

・高校生のとき:「家庭科の男女共修について」(1982年)
当時は男女別、中学校では「技術」と「家庭」に分かれ、高校では「体育」と「家庭」に分かれていました。
中学生のときは「技術」の授業が好きで、疑問には思っていませんでしたが、高校では嫌いな体育となり、そこで私は「何で男子は家庭科を選択出来ないの?」と思ったように記憶しています。
高校生同士の集まりで、そのことについて話し合う機会がありました。もう、四半世紀以上前のことなので、何を話し合ったのか覚えていませんが、みんな「男女平等がうたわれている学校教育の中で、なぜこの部分が違うのか」を考えるきっかけになったと思います。私にとっては、とても興味あるテーマでした。

そのとき参考にした本:「家庭科、男子にも!-広がる共修への願い」 家庭科の男女共修をすすめる会=編 1982年1月発行 ドメス出版
本の中で、記憶に残っているのが、「家庭科が、単なる家事の訓練でなく、家庭を科学的にとらえるものである」といったくだり。当時、女生徒に家庭科の教科書を見せてもらって、「女子に限る必要ないやん」と思ったものです。
*ネット検索すると、「1985年、日本が女性差別撤廃条約に批准」「1993年から中学で、高校では1994年から男女共修となった」「『家庭科の男女共修をすすめる会』も任務を終えて、1997年に解散」とありました。

・就職1年目:「夫婦別姓」(1989年)
この言葉を知ったのはこの年。このときも、私は一瞬「ちょっとややこしいかも」と思っただけで、次の瞬間にはこの言葉をあっさり受け入れていました。「あ、いいな」と。
そして、「同姓か別姓か」にとどまらず、私は一気にいろんな夫婦のあり方を知ることになります。「結婚して家庭を持つ」か「独身でいる」の2者択一しか知らなかった私にとっては、大きな衝撃でした。
また、人と違うライフスタイルに対し、周囲の圧力がどれほど強く、攻撃的であるかを知るにも、大して時間がかかりませんでした。
さらに「女性学」という言葉を知り、芋づる式に関連するいろんな考えを知ることになります。他えば、
・事実婚
・女性のみの再婚禁止期間(徹底した父性主義)
・「子供の権利条約」と婚外子(非嫡出子)の差別
・3つの性(セックス/ジェンダー/セクシュアリティ)
などなど。
学校教育では、「男女混合名簿」がよく言われていました。

読んだ本はたくさんありますが、ひとつ挙げるとすればこの本でしょう。薄いブックレットです。
「資本制と家事労働 - マルクス主義フェミニズムの問題構制」(モナド・ブックス35) 上野 千鶴子 著 1985年6月発行 海鳴社
今までの学生運動や労働運動が、生産労働の領域しか考えず、再生産労働(家庭、子育て)の民主化が放置されていたことを知るきっかけとなった本です。従来の学生・市民運動に違和感を抱いていた私にとっては、その理由が明らかになったわけです。

私がこの分野に関わったのは、1990年代前半です。その後、行政も「男女共同参画」の中で「ジェンダーフリー」といった言葉を使い出したものの、2000年に入って「行き過ぎたジェンダーフリー教育」などのバッシングが起こることになりますが、ここでは触れません。

さて、なぜ男性の私が女性学に興味を持ったのでしょう。
ひとつには、マイノリティ(少数派)への興味と考えています。
過去記事「私の活動領域と発達障害との関係-少数派のアイデンティティ」で触れたとおり、私は小学生のときから少数派の中で生きてきました。高校生のときには、既に多数派には興味がなく、少数派にしか目が向いていなかったのかもしれません。

もうひとつには、「心の性」(性同一性)との関連もあるかもしれません。私が知る範囲ですが、発達障害仲間と話していると、男女とも「私は中性的」といった言葉が出てきます。なお、容姿とは無縁の話です。
私が推測するに、発達障害者の「心の性」は、男性・女性という二者択一では考えられず、独自の広がりを持っているように思います。きっと私にもそういう部分があるのでしょう。そのため、私は多数派の結婚観・性役割分業を当たり前と思えず、結果としてそういう分野に興味を持ったのかもしれません。
やはり、私のこういった経験も、発達障害と無縁ではないと考えています。
「すべてのことに理由がある」、本当にそう思っています。

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(この記事を書いた背景を追記に入れました。)
この記事を書くきっかけになったのは、前回の記事の追記部分に記した、堀川ひとみさんの記事「フェルマーの最終定理。」(2010年9月19日)なのです。
私も、「まわりとの違和感の理由がつかめなくとも、それを見失わない場所においておき、「別のこと」をやっていたら、今になってそれらが驚くべき「関係性」を持っていることがわかってきた」のかな、と。
これら過去の経験は、発達障害界で発信を続ける今の私に間違いなくつながっています。

あと本文に書ききれなかったことをひとつ。
高校1年のとき、国語の授業中だったか、先生が生徒に「将来結婚して家庭を持つと思うか」と質問したことがありました。男子は、確か「そう思う」が圧倒的多数だったように覚えています。私は、これにかなり驚きました。15,16歳で、みんな「結婚して幸せな家庭を」って考えるんだ、と。私には、そういう考えはありませんでした。私は、「結婚しないだろう」に手を挙げたと思います。
なお、女子で「結婚しないだろう」に手を挙げたのはひとりだけ。これには、その子も驚いていました。もちろん、私も驚きました。
この記事を書いていて、ふと思い出しました。

テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体

コメント

No title

こんにちは。

>私は、これにかなり驚きました。15,16歳で、みんな「結婚して幸せな家庭を」って考えるんだ、と。

たぶんなんですけど、漠然とそう考えていたのではないでしょうか。
「絶対にそうしなければならない」ではなくて「なんとなく…」という感じで手を挙げた人が多かったのではないかと想像しました。

私は逆に…「結婚しなければならない」と強迫的に思い込んでいました。
世の中にはいろんな考えや価値観、生き方があっていいのだと
ずいぶん大人になるまで気が付きませんでした。残念です。

区別を差別だと怒る人もいるし、
差別を区別だと開き直る人もいる、
差別と区別の定義もあいまいなんだろうなと思ってます。

Re: 絢未さん

コメントありがとうございます。
そう、漠然と「結婚して家庭を持つのかな」程度だったと思います。
以前よりは、多様な夫婦・家族観が知られていると思いますが(事実婚といった言葉もよく出てきますし)、枠から外れた関係への風当たりが強いのは、今も変わらないでしょう。外れることに、まだまだ勇気と信念が必要です。
違いがあって当たり前、違いがあるから補完しあえる、そういう世の中になれば、区別も差別もなくなっていくことでしょう。私たちは、その先頭に立てるのかもしれません。無理せず、やっていきましょうか。

こんばんは

私の人生で最近いろんな人を見る機会に恵まれたのもあり、私には少数派とかの区別がないのが実のところ当たり前のようです。
世間は違うことを忘れそうになるくらい。
それに、気をつけなきゃななんて思います。
今まで私の世界はとても小さいものでした。
だけど、それは自分で小さくしていて勝手に形づくっていただけなんだと。
自分のことも決め付けていた。
それに気づくことができて、良かったと思います。
性に関しても、本当にいろんな性を持っている人がいて相手をとても想い合っている人達や悩んでいる人達、いろんな人達を見ました。
私はなんか息ができなかったのが前よりも楽に息ができるようなそんな感覚を感じられました。
多分、窮屈だったんでしょうね。
うまく言えませんが、形を決めてそれに追いつこうと頑張ってばかりいた私には、とてもホッとできる出会いや気づきでした。

万人に悪意を感じさせる迷惑の掛け方をしなければ色んな生き方をしてもいい。まささんの学生時代から早ン十年が経とうとしていますが、現在も固定観念に縛られてる方は多いなぁと色々な人と接して思う今日この頃です。

ジェンダーフリー

>15,16歳で、みんな「結婚して幸せな家庭を」って考えるんだ、と。私には、そういう考えはありませんでした。私は、「結婚しないだろう」に手を挙げたと思います。

同じ意見をお持ちの方がいて、驚いております。
私も女子のくせに(←この言い方、もはやジェンダーフリーじゃないけど)
結婚願望が、全くなかったもので、周囲に変わってる子扱いされました。
自分には、結婚が向いていない、子育ては無理だと、子供ながらに、
悟っていたからです。
発達障害の人って、ヒトにもよるのかもしれないけど、
あまり、よい境遇で育っていなかったりすると、
自己否定にかられて、幸せな家庭を築ける自信がもてないように思うのですね。

労働人口を増やして、税収を増やし、国庫を潤すためにも、
ジェンダーフリーと、そして、ベーシックインカムの制度を、
どんどん推し進めてもらえると、みんな幸せになれるのにな~と、思いました。

Re: タマさん

そう、成長には人との出会いが必ず必要と思っています。タマさんの「機会に恵まれた」の言葉、出会いに関係する人たちが聞くと、とても喜ぶと思います。
世間との接点も、きっと今の出会いの延長線上にあると思います。ぼちぼちいきましょう。

*現時点であと2件のコメントを確認していますが、返事は後日にさせてください。すみません。

高校のLHRの思い出

こんばんは。

まささんのように高校時代の思い出です。
高校1年の時、LHR(ロングホームルーム)という話し合い(学級会みたいな)時間があって、無記名のアンケートを採りました。
女子には、将来①結婚しても働き続けるか②子どもが産まれても働き続けるか。男子には将来の奥さんに対して①結婚しても働いてほしいか②子どもが産まれても働いてほしいか
結果、女子は①で半分、②では私1名のみ「働き続ける」という回答、男子も①約1/3、②全員NOでした。

その高校は、進学校。クラスのトップレベルの子たちは、国公立大学を目指していました。
私は一生働いていける何かの資格を取って働き続けたい、そのためには、進学(年齢の近い姉妹のいる家庭の経済的状況から短大希望)して資格を・・・と考えていました。
ですから、自分よりずっと成績的には恵まれているクラスの女子たち(東京なんかで下宿したりして四大でしっかり勉強していくだろう子たち)が、結婚・出産で、今までの勉強や資格やキャリアを捨ててすんなりと家庭に入ってしまうことを希望している・・・のがびっくりで、「家庭に入るためにお金までかけて大学に勉強に行くの??(←私は成績は悪かったので国公立は無理でしたが、経済的な事情が許せば四大で学んでみたかったので)」と思ってました。
さすがに、1名対クラスの残り全員では、話し合いにならないと思ったのと、クラスで1人だけというのもショックで黙っていました。

LHRが終了し、友達同士で話していた男子が大声で「あれってひどい女だよなあ」「子どもが産まれても働く女ってどんな奴だ」と言っていたのが、更にショックでした。

私が男だったら、親は私の四年制大学への進学を希望したと思います(今ほど専門学校の多くなかった当時は、男子の進学できる短大がすくないのも現実でしたし・・・)。
私の就職のころは「男女雇用機会均等法」施行前で、「男子募集○名、女子募集なし」なんて募集もあったし、「男性は有利だなあ」と感じることが多かったです。
子育中、夫婦がお互いフルタイムで働いていても、夫婦同じことをしても「母はやって当たり前」「父は子育てに理解のある方」になって同様に思いました。
以前よりは、その価値観が変わりつつあるようにも感じますが、どうなのでしょう?(少なくとも就職の採用募集などでは性差がなくなりましたね。公的な部分では言えなくなっても、個人の価値観の根底には残っている部分は多いと思います)

性別でなく、1人1人の人間がその人らしさを出しながら社会でのそれぞれの役割を担って行けばよい・・・・・と考えてはいるのですが。
まだまた、「世間一般」と言われる価値観とのギャップが大きいと感じる今日この頃です。
(まとまっていない上に、また長くなりました。ごめんなさい)

Re: わーさん

わーさん、早速の訪問&コメントありがとう!
ン十年経ち、表面上は変化した部分もありますが、根っこの意識(固定観念に縛られている)は今も変わっていないでしょう。その結果が、今の日本の閉塞感だと思っています。
発達障害者は、そこに気付ける存在であり、その意識を変革する先駆者かもしれません。最近、そんなことを考えています。
また来てくださいね。

Re: ジェンダーフリー

yo*koさんもそうですか。「子育ては無理だと、子供ながらに悟っていた」、私もそうです。
発達障害者の場合、育った環境だけでなく、社会からの刷り込み(結婚=幸せ、という空気)が効かないことも、結婚願望のなさに関係しているのかなと思っています。そう、結婚願望は社会の押し付けですよ~
でも、女の子の場合、結婚願望のなさが「変わった子」になるんですね。それだけを取っても、社会の刷り込みってすごいですね。
p.s. しーたさんの本、昨日入手しました。読んでますよ~

Re: 高校のLHRの思い出

ガリレオ母さん、そういうアンケート結果だったんですね。今も大きくは変わらないでしょう。
でも、「母親が子育てを」ということが前提の質問形式には、ちょっと時代を感じますね。
進学校の家庭はおおむね経済状態がいいので、保守的な子が多いと思います。大学出てもすんなり家庭に入るって発想は、不思議ではありません。寝る間も惜しんで働くキャリアウーマンより、子供に勉強を教えられる「知的な奥さん」の方がいい、ですね。このあたりの解析は、女性学関係の本にたくさん書かれていますよ。
ただ、今はどうかわかりませんが、当時言われていなかったことがあります。発達障害者は、そういう「ねじれた状況」にちゃんと疑問を持つんです。私たちには、「家庭に入るのが幸せ」という社会の刷り込みが効かないんです。私たちこそ、刷り込みに振り回されない基準となる存在かもしれませんよ。
ひとりひとりが力を発揮できる社会、私たちからはじめましょうか。

No title

私は当事者で、車椅子でもあります。
女性ですが、感じ方は中性だとおもいます。

専攻はジェンダー学でした。

いままで、車椅子なので恋愛ができないと言われながら育ったため、社会学的に言えば「社会化」された考え方で中性的に感じるのかと思っていましたが、アスペルガーの影響もあるかもと思いました。

Re: ぺんぎんさん

ぺんぎんさん、はじめまして。ジェンダー学を学ばれた方からコメントいただけてうれしいです。
私は、アスペルガーが直接「中性的」につながるのでなく、多様な感性と、社会からの刷り込みが効きにくいことが重なって、結果として既成のジェンダーに当てはまらないのだと思います。
多数派も、社会の刷り込みがなければもっと多様かもしれませんね。
またコメントくださいね。今後ともよろしくお願いします。

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Re: 鍵コメさん

先日は楽しい時間を過ごしてきました。それもあって、古い話を記事にしてみました。
*友人からの事務連絡です。

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まさ(climbmasa)

Author:まさ(climbmasa)
40歳を過ぎて、人とちょっとだけ違う自分に気付きました。ここでは、自分が感じたことを、そのまま表現していきます。
広汎性発達障害(アスペルガー症候群)の当事者です。「人並み」ができず、いろんな場面で苦戦していますが、多くの人に助けられながら生きています。
このブログを通じて、少しでも多くの人に発達障害のことを知ってもらえればと思います。
「自己紹介」カテゴリに、私のプロフィールを置いています。

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