少数派に必要な支えとは?-いろいろな支援のあり方

連載「私が発達障害と関係なさそうな記事を書いている理由」の3回目です。
前回(2回目)の締めくくりは、「少数派で大丈夫」でした。今回は、少数派の中での私の状況、そして最後に、「支え」つまり「支援」について考えてみました。
前回、私は「早い時期から自分に合った少数派の仲間たちと出会い、その中で育てられてきたのではないかと思います。」と記しました。確かに、私はそういった仲間に支えられて、自分の能力を引き出す機会に恵まれた側面があると思います。しかし、少数派の中で私のことが十分理解されていたかというと、決してそうではありません。「何とか許容されてきた」という言葉が当たっているでしょう。今関わっている演劇・舞台やボディワークなどの仲間もそうです。受け止めてもらえること、まわりに合わせることの微妙なバランスで関係を保ってきたのが実際です。(自転車レース仲間には、かなり受け入れられています。)
でも、私はこれを「支え」と呼ぶことにしました。「発達障害」という言葉が広まっていない頃から、ずれた私を受け入れ、能力を拾ってもらえたわけですから。
よく、学校や職場などで、わかってもらえる人がひとりでもいるかいないかで、精神的負荷が大きく変わると言われますが、私もその通りです。私の活動領域では、「わかってもらえる人」といっても、私の話を何となく「そうなのかな」と聞いてもらえるかどうかですが、それでも私の精神的負荷は全然違います。私に必要な「支え」は、そういう人の存在なのです。
支え(支援)は、税金を使った公的なものと思われがちですが、友達からのひとことも支援のひとつと考えれば、支援の幅が広がり、「その人に合った支援」がもっと考えやすくなるのではないでしょうか。さらに、「福祉の取り合い」的な考えからも少し抜け出せるのでは。
また、私はいくつかの活動の中で、少しは私が持つ力を提供出来たと思います。つまり、お互いに支えあってきたのではないかと。そう考えれば、「支援」が一方的なものと限らない、発展的なものと考えることも出来るのではないでしょうか。
「支えあう」、つまり「協力し合う」は、社会を動かす原動力。そういう「支え」まで広げられれば、この閉塞感だらけの日本にも、少しは未来が見えてくると思っています。

本連載は今回で終わる予定でしたが、ここ2週間ほどの間に、本テーマに関係する事例がいくつかあったので、そのあたりに触れるべく、もう1回続きます。
次回は、会社員であり、いくつかの趣味を持って活動している私が、なぜ発達障害当事者を標榜するのかについて述べる予定です。

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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体

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プロフィール

まさ(climbmasa)

Author:まさ(climbmasa)
40歳を過ぎて、人とちょっとだけ違う自分に気付きました。ここでは、自分が感じたことを、そのまま表現していきます。
広汎性発達障害(アスペルガー症候群)の当事者です。「人並み」ができず、いろんな場面で苦戦していますが、多くの人に助けられながら生きています。
このブログを通じて、少しでも多くの人に発達障害のことを知ってもらえればと思います。
「自己紹介」カテゴリに、私のプロフィールを置いています。

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