風を感じて
いろんな風を感じて生きています。
演劇舞台の音響ブースより
今日は、私が音響スタッフをしている劇団の公演日でした。公演は今日だけなので、無事終了です。
今回は、効果音とライブ(弾き語り)の音響オペを担当。ライブ演奏のオペは初めてで、最初はどういった音が出ればいいのかつかめませんでしたが、リハーサルが進むうちに、楽器とボーカルのバランスなど、自分にとって心地いい音がだんだんつかめてきました。
効果音も演奏も、演出家/演者などとやり取りしながら調整していくものの、最後に頼れるのは自分の耳だけ。自分を信じるしかありません。
でも、いくつかの劇団から何度も依頼されるので、それなりに出来ているのかなと勝手に思っています。私の聴覚過敏気味の耳が、耳障りな音を出さないことにつながっているのかもしれません。
でも、何年やってても、公演のオペはとても緊張します。役者は、少々ドジってもごまかせますが、音響は、ドジるとごまかしが利きませんから。一瞬の効果音、場面を印象付ける音楽、場の転換中のブリッジ曲、、、どれも音を出す瞬間には全神経を使います。
今回操作した、仮設音響ブースの写真です。ホールの一番後ろです。

拡大写真です。

今回は、効果音の数が少なかったので、機材(プレーヤー)の数は少ないです。効果音が多くなると、複数のプレーヤー(CD、MDなど)を使うことになります。
今回は、お客様の反応がとてもよく、楽しくオペ出来ました。お芝居に関わるのは本当に大変ですが、やめられません。
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今回は、効果音とライブ(弾き語り)の音響オペを担当。ライブ演奏のオペは初めてで、最初はどういった音が出ればいいのかつかめませんでしたが、リハーサルが進むうちに、楽器とボーカルのバランスなど、自分にとって心地いい音がだんだんつかめてきました。
効果音も演奏も、演出家/演者などとやり取りしながら調整していくものの、最後に頼れるのは自分の耳だけ。自分を信じるしかありません。
でも、いくつかの劇団から何度も依頼されるので、それなりに出来ているのかなと勝手に思っています。私の聴覚過敏気味の耳が、耳障りな音を出さないことにつながっているのかもしれません。
でも、何年やってても、公演のオペはとても緊張します。役者は、少々ドジってもごまかせますが、音響は、ドジるとごまかしが利きませんから。一瞬の効果音、場面を印象付ける音楽、場の転換中のブリッジ曲、、、どれも音を出す瞬間には全神経を使います。
今回操作した、仮設音響ブースの写真です。ホールの一番後ろです。

拡大写真です。

今回は、効果音の数が少なかったので、機材(プレーヤー)の数は少ないです。効果音が多くなると、複数のプレーヤー(CD、MDなど)を使うことになります。
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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体
忙しすぎるのは、制御が効かないから?
ここ1ヶ月あまり、忙しい日々が続いています。睡眠時間も短めで、精神的負荷が高い状況です。
今やっていること:
・お芝居の手伝い2本(音響スタッフ)
・自転車(平日早朝練、週末チーム練、レース)
・ブログの更新、コメント返信など、ネット上の関わり
・発達障害のリアル仲間とのつながりの拡大
・ボディワーク(フェルデンクライス)の受講
もちろん、会社員であり、日々の生活もあります。
決して、昔から忙しい日々を送っていたわけではありません。3年前の早朝練開始、そして1年近く前のブログ開始で、かなり生活が変わりました。
でも、楽しいことは楽しいし、続けていないと落ちこぼれる不安が常につきまといます。やはり私は、「この程度にしておこうか」という制御が効かないのかもしれません。
でも、今のところ私は壊れずに何とかやっています。私が壊れないのは、種類が異なる複数のことをやっているからかもしれません。仕事人間でもなく、発達障害関連にどっぷりでもなく。ひとつのことにどっぷりになると、「局所疲労」を起こすのではないかと思います。
発達障害への支援のひとつに、どっぷり過集中になることへの対応も必要と考えています。といっても、きっと言葉で「休みなさい」と言っても聞き入れないでしょう。少なくとも私はそうです。
考えられるのは、ひとつに「落ちこぼれる不安」から解放する支援、つまり「そこまで必死にならなくても大丈夫」という自己肯定感を応援すること、もうひとつは、「他にも楽しいことがあるよ」と、ひとつのことにどっぷりにならないようにすることかな、と考えています。先日の嵐山散策は、その後者を狙ったものでもあります。その効果がありそうなら、また企画しようと考えています。
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・ボディワーク(フェルデンクライス)の受講
もちろん、会社員であり、日々の生活もあります。
決して、昔から忙しい日々を送っていたわけではありません。3年前の早朝練開始、そして1年近く前のブログ開始で、かなり生活が変わりました。
でも、楽しいことは楽しいし、続けていないと落ちこぼれる不安が常につきまといます。やはり私は、「この程度にしておこうか」という制御が効かないのかもしれません。
でも、今のところ私は壊れずに何とかやっています。私が壊れないのは、種類が異なる複数のことをやっているからかもしれません。仕事人間でもなく、発達障害関連にどっぷりでもなく。ひとつのことにどっぷりになると、「局所疲労」を起こすのではないかと思います。
発達障害への支援のひとつに、どっぷり過集中になることへの対応も必要と考えています。といっても、きっと言葉で「休みなさい」と言っても聞き入れないでしょう。少なくとも私はそうです。
考えられるのは、ひとつに「落ちこぼれる不安」から解放する支援、つまり「そこまで必死にならなくても大丈夫」という自己肯定感を応援すること、もうひとつは、「他にも楽しいことがあるよ」と、ひとつのことにどっぷりにならないようにすることかな、と考えています。先日の嵐山散策は、その後者を狙ったものでもあります。その効果がありそうなら、また企画しようと考えています。
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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体
仲間たちと京都・嵐山を歩いてきました
この週末、発達障害仲間数名と散策に出かけました。行き先は、京都・嵐山。初めての企画です。
テーマは「自然に触れる」。自然の多いところを選んで歩きました。
まずは高台のある嵐山公園(亀山地区)へ。小高い丘を登ります。曇りで、じっとしていると肌寒い気温ですが、登り始めると汗をかきます。
展望台から見た保津峡です。

公園内には、たくさんの木があります。静かで、鳥の声がよく聞こえます。

公園を抜けると、有名な竹林の道に出ます。同行者からいただいたものを載せました。

常寂光寺に入ります。京都の街並みが見える、高いところにあります。

もみじがわずかに色付き始めています。

木々に囲まれた、静かでいいところです。


何の実でしょう。

このあとは、嵯峨野をのんびり歩いてお昼にしました。写真はありません。
途中で見かけた畑に綿花が植えられていて、初めて見る人もいて話題になりました。
観光地だけに行き交う人も増えましたが、のどかなところです。
お昼のあと、大沢池まで足を延ばしました。動物たちです。


お決まりの渡月橋です。

後半は観光地めぐりとなり、ちょっと長い行程に最後は疲れてしまいましたが、楽しく回ることが出来ました。
同行者のひとりからの、「このメンバーなら、何もしゃべらなくてもいいと思って参加した」という言葉に、これを企画してほんとよかったと思いました。普段、話を合わせることに疲れている私たち、このメンバーなら、そうしなくてもいいのです。(でも、みなさんよくおしゃべりしていました。)
といっても、お互い緊張感(対人モード)を外せるわけではありません。このメンバーであっても、精神的な疲れを避けて通れないわけですが、何かひとつでもいいことがあればそれでいいのかな、と思うことにしています。
楽しい1日でした。
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まずは高台のある嵐山公園(亀山地区)へ。小高い丘を登ります。曇りで、じっとしていると肌寒い気温ですが、登り始めると汗をかきます。
展望台から見た保津峡です。

公園内には、たくさんの木があります。静かで、鳥の声がよく聞こえます。

公園を抜けると、有名な竹林の道に出ます。同行者からいただいたものを載せました。

常寂光寺に入ります。京都の街並みが見える、高いところにあります。

もみじがわずかに色付き始めています。

木々に囲まれた、静かでいいところです。


何の実でしょう。

このあとは、嵯峨野をのんびり歩いてお昼にしました。写真はありません。
途中で見かけた畑に綿花が植えられていて、初めて見る人もいて話題になりました。
観光地だけに行き交う人も増えましたが、のどかなところです。
お昼のあと、大沢池まで足を延ばしました。動物たちです。


お決まりの渡月橋です。

後半は観光地めぐりとなり、ちょっと長い行程に最後は疲れてしまいましたが、楽しく回ることが出来ました。
同行者のひとりからの、「このメンバーなら、何もしゃべらなくてもいいと思って参加した」という言葉に、これを企画してほんとよかったと思いました。普段、話を合わせることに疲れている私たち、このメンバーなら、そうしなくてもいいのです。(でも、みなさんよくおしゃべりしていました。)
といっても、お互い緊張感(対人モード)を外せるわけではありません。このメンバーであっても、精神的な疲れを避けて通れないわけですが、何かひとつでもいいことがあればそれでいいのかな、と思うことにしています。
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秋のガーデンシクラメン・・・栽培記その4
今年1月に、フェルデンクライス・メソッドの講習(指導者養成コース)でいただいたガーデンシクラメンのその後です。
関連記事:今日からフェルデンクライス講習です(2009/4/27)、ガーデンシクラメンその後(2009/6/10)、夏のガーデンシクラメン・・・栽培記その3(2009/7/29)
夏の終わりから、再び新しい葉っぱに入れ替わり、今や鉢からあふれんばかりに広がっています。小さい鉢ではかわいそうなくらいに。
花の季節を迎えるため、たくさん光合成をしようとしているのでしょうか。生命力のすごさに驚かされます。

心配していた夏を越えたので、一安心。日々変化する姿を楽しんでいます。
フェルデンクライスの次の講習は、来年1月初めから。この鉢植えの贈り主であるロビー先生が、1年ぶりに京都に戻ってきます。
ロビー先生は、恐らく誰よりも早く私の発達障害に気付いた人。友人の「告知」の前に。
次の講習、どういう展開になるか楽しみです。
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夏の終わりから、再び新しい葉っぱに入れ替わり、今や鉢からあふれんばかりに広がっています。小さい鉢ではかわいそうなくらいに。
花の季節を迎えるため、たくさん光合成をしようとしているのでしょうか。生命力のすごさに驚かされます。

心配していた夏を越えたので、一安心。日々変化する姿を楽しんでいます。
フェルデンクライスの次の講習は、来年1月初めから。この鉢植えの贈り主であるロビー先生が、1年ぶりに京都に戻ってきます。
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敏感(過敏)さと鈍感さ(3)~私の鈍感さ~
前回は、抽象的かつ話がかなり飛躍して、わかりにくい話になってしまいました。
でも、どうしても「まわりからの抑圧」から一歩進めたくて書いてみました。
さて、私たちは、この社会状況の中で、「自分(の感性)を信じる」ことが出来るのでしょうか。
私は、恐らくほとんどの部分で自分の感性を信じることが出来ていないと思います。小さい頃から常に、「まわりから攻撃されないように(違和感を与えないように)するには、どう振舞えばいいか」ばかり考えてきました。今や、ほとんど意識することなくそうしているようです。そんな状況では、「自分を信じる」など語れないですね。
でも、ほんとに一部分ですが、逆に「普通はこうするもの」といった、定型者の「とらわれ」が自分にない結果、仕事や趣味(例えば自転車の乗り方など)で、合理的な考え方や行動が出来ている部分もあると思っています。
話は変わりますが、週末のお出かけの際、何度か海辺で休憩を取りました。ひとり海辺で波の音を聞きながら座っていると、緊張させていた神経がゆるんでいくのを感じました。この感覚、すっかり忘れていました。
麻痺させてきた感覚を取り戻し、「自分を信じる」ための第一歩として、まわりの喧騒(世間、騒音などいろんな意味での)から離れ、自然に身を委ねてみることが必要なんだなと、改めて実感した週末でした。


今回の連載はここまでにして、新たな発見があればまた書いてみたいと思います。
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(追記は、「熊野古道ヒルクライム」報告です。)
でも、どうしても「まわりからの抑圧」から一歩進めたくて書いてみました。
さて、私たちは、この社会状況の中で、「自分(の感性)を信じる」ことが出来るのでしょうか。
私は、恐らくほとんどの部分で自分の感性を信じることが出来ていないと思います。小さい頃から常に、「まわりから攻撃されないように(違和感を与えないように)するには、どう振舞えばいいか」ばかり考えてきました。今や、ほとんど意識することなくそうしているようです。そんな状況では、「自分を信じる」など語れないですね。
でも、ほんとに一部分ですが、逆に「普通はこうするもの」といった、定型者の「とらわれ」が自分にない結果、仕事や趣味(例えば自転車の乗り方など)で、合理的な考え方や行動が出来ている部分もあると思っています。
話は変わりますが、週末のお出かけの際、何度か海辺で休憩を取りました。ひとり海辺で波の音を聞きながら座っていると、緊張させていた神経がゆるんでいくのを感じました。この感覚、すっかり忘れていました。
麻痺させてきた感覚を取り戻し、「自分を信じる」ための第一歩として、まわりの喧騒(世間、騒音などいろんな意味での)から離れ、自然に身を委ねてみることが必要なんだなと、改めて実感した週末でした。


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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体
敏感(過敏)さと鈍感さ(2)~体・心からの微弱なシグナル~
前回に引き続き、発達障害者の「鈍感さ」について考えてみました。
前回の記事では、複数の方から「感じていても、自分が間違っていると思って押し込めている」、「傷付けられて、本来の感受性を大幅に押さえ込んでいた」といったコメントをいただきました。まわりからの抑圧の大きさをひしひしと感じています。
さて今回は、前回の後半で取り上げた、「感じていても意識(自覚)することが出来ない」特性(感受性と自覚のギャップ)について掘り下げます。
(ここでは、「意識」と「自覚」という2つの言葉を使っていますが、特に区別していませんので、ここからは「自覚」と記すことにします)
あくまでも私のケースですが、前述の私の記事「感受性の豊かさと、その感情を自覚することの困難さ~お友達のブログより~」の中でも触れたとおり、自覚できなくとも自分自身をコントロールしている部分があるようです。ごく日常の、歩く、物に触れるといった動作などでのことです。
心理学では、自覚できるのは氷山の一角で、無意識の領域の方が圧倒的に広いと言われているかと思います。単にそれだけのことかもしれません。
でも、今回はひとつ仮説を立ててみました。「自覚出来ないのでなく、自覚の仕方が定型発達者とは異なるのではないか」と。まわりから定型者と同じ自覚の方法を求められるため、自覚出来ないとされてしまっているのではないかと。
定型者にとって、自覚とは多くの場合言語化を指すかと思います。それと比べると、この仮説は無意識に含まれるものかもしれません。でも、芸術、科学、スポーツ、政治などいろんな分野で活躍する発達障害者の存在を考えると、「定型者と違う『自覚』があり、その結果それぞれの分野で才能を発揮出来る」と考えることも可能ではないでしょうか。
いずれにしても、体・心から発信されているシグナルは微弱で繊細なものでしょう。シグナルを拾うには、言葉では「自分の体・心を信じる」「耳を澄ます」となるのでしょうが、多くの発達障害者はまわりから抑圧され、自尊感情を奪われてしまっており、この微弱なシグナルを拾うことがなおさら困難な状況です。
さて、その微弱なシグナルを拾い、『自覚』出来るのか、、、次回は、そのあたりを何とか展開したいところですが、正直、非常に難しいテーマです。書けるかどうかわかりません。
ただ、「自分は自覚の仕方が人と違うんだ」と考えるようになって、私はかなり楽になりました。
抽象的な話になりましたが、意見お待ちしています。
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前回の記事では、複数の方から「感じていても、自分が間違っていると思って押し込めている」、「傷付けられて、本来の感受性を大幅に押さえ込んでいた」といったコメントをいただきました。まわりからの抑圧の大きさをひしひしと感じています。
さて今回は、前回の後半で取り上げた、「感じていても意識(自覚)することが出来ない」特性(感受性と自覚のギャップ)について掘り下げます。
(ここでは、「意識」と「自覚」という2つの言葉を使っていますが、特に区別していませんので、ここからは「自覚」と記すことにします)
あくまでも私のケースですが、前述の私の記事「感受性の豊かさと、その感情を自覚することの困難さ~お友達のブログより~」の中でも触れたとおり、自覚できなくとも自分自身をコントロールしている部分があるようです。ごく日常の、歩く、物に触れるといった動作などでのことです。
心理学では、自覚できるのは氷山の一角で、無意識の領域の方が圧倒的に広いと言われているかと思います。単にそれだけのことかもしれません。
でも、今回はひとつ仮説を立ててみました。「自覚出来ないのでなく、自覚の仕方が定型発達者とは異なるのではないか」と。まわりから定型者と同じ自覚の方法を求められるため、自覚出来ないとされてしまっているのではないかと。
定型者にとって、自覚とは多くの場合言語化を指すかと思います。それと比べると、この仮説は無意識に含まれるものかもしれません。でも、芸術、科学、スポーツ、政治などいろんな分野で活躍する発達障害者の存在を考えると、「定型者と違う『自覚』があり、その結果それぞれの分野で才能を発揮出来る」と考えることも可能ではないでしょうか。
いずれにしても、体・心から発信されているシグナルは微弱で繊細なものでしょう。シグナルを拾うには、言葉では「自分の体・心を信じる」「耳を澄ます」となるのでしょうが、多くの発達障害者はまわりから抑圧され、自尊感情を奪われてしまっており、この微弱なシグナルを拾うことがなおさら困難な状況です。
さて、その微弱なシグナルを拾い、『自覚』出来るのか、、、次回は、そのあたりを何とか展開したいところですが、正直、非常に難しいテーマです。書けるかどうかわかりません。
ただ、「自分は自覚の仕方が人と違うんだ」と考えるようになって、私はかなり楽になりました。
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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体
敏感(過敏)さと鈍感さ~凸凹ではないと考える~
発達障害者は、よく敏感(過敏)さと鈍感さの両方を持っていると言われます。暑さ/寒さ、味覚、痛み(皮膚感覚)などの身体感覚を想定していますが、心の痛みといった心理面も含みます。
凸凹として、等価な関係で書かれていることが多いですし、実際そのように見えます。
でも、私はそうではないと考えています。今回は、「鈍感さ」について考えてみました。
「鈍感さ」の最大の要因は、まわり(定型社会)からの抑圧によって、麻痺させられ、頑張りを強要されてきたためでしょう。このことは、以前の記事で紹介させていただいたしーたさんなど、多くの方が書かれているので、ここでは割愛します。これを取り除く(まわり、社会が変わる)ことが急務であるのは、言うまでもありません。
しかし、鈍感さの原因はそれだけではないと考えています。前々回の記事「感受性の豊かさと、その感情を自覚することの困難さ~お友達のブログより~」のとおり、「感じていても意識(自覚)することが出来ない」ために、「気付かない」ためではないかと思っています。本当に気付いていないのではなく、体や心はしっかり感じているのに、意識に上げられない状態ではないかと。
感受性と自覚のギャップは、大きなストレスにつながります。二次障害の大きな原因でもあるでしょう。単なる「凸凹」と考えていると、そこにストレスが発生していることを見落としてしまいます。
今回はここまでにして、まずは「鈍感さへの考察」について意見交換できればと思います。
次回は、このギャップを小さくすることが出来るかどうかについて、少しずつ進めたいと思います。少しだけ触れますと、前々回の記事の後半で触れた、「(私が)無意識に選んだり避けたりしているのかもしれない」という部分について、もう少し突っ込んで考察していきたいと考えています。
私は、この分野の学術的なことは何も知りませんので、既に明らかになっているなど、何か参考情報がありましたら、お教え頂けると幸いです。
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凸凹として、等価な関係で書かれていることが多いですし、実際そのように見えます。
でも、私はそうではないと考えています。今回は、「鈍感さ」について考えてみました。
「鈍感さ」の最大の要因は、まわり(定型社会)からの抑圧によって、麻痺させられ、頑張りを強要されてきたためでしょう。このことは、以前の記事で紹介させていただいたしーたさんなど、多くの方が書かれているので、ここでは割愛します。これを取り除く(まわり、社会が変わる)ことが急務であるのは、言うまでもありません。
しかし、鈍感さの原因はそれだけではないと考えています。前々回の記事「感受性の豊かさと、その感情を自覚することの困難さ~お友達のブログより~」のとおり、「感じていても意識(自覚)することが出来ない」ために、「気付かない」ためではないかと思っています。本当に気付いていないのではなく、体や心はしっかり感じているのに、意識に上げられない状態ではないかと。
感受性と自覚のギャップは、大きなストレスにつながります。二次障害の大きな原因でもあるでしょう。単なる「凸凹」と考えていると、そこにストレスが発生していることを見落としてしまいます。
今回はここまでにして、まずは「鈍感さへの考察」について意見交換できればと思います。
次回は、このギャップを小さくすることが出来るかどうかについて、少しずつ進めたいと思います。少しだけ触れますと、前々回の記事の後半で触れた、「(私が)無意識に選んだり避けたりしているのかもしれない」という部分について、もう少し突っ込んで考察していきたいと考えています。
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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体
発達障害者と演劇のつながり~お友達のブログより(2)~
前回に引き続き、お友達ブログの紹介です。リアル友達でもある、「まほろん」さんです。
「大人のアスペルガー つれづれ」
http://ameblo.jp/maholon/
どの記事も非常に的確な言葉で綴られており、発達障害ゆえのパニックや二次障害のこと、少女時代のことなどが、重なる経験がなくとも伝わってきます。
実際にお会いすると、とってもすてきな「頼れる女性」です。
また、彼女との共通項に「演劇」があることを、この記事で知りました。
「発達障害と演劇」
私は、音響効果スタッフなら何とかなりますが、間違っても役者は出来ません。そのため、「アスペルガーに役者は無理」と思っていましたが。彼女はそれを見事に打ち破ってくれました。改めて、発達障害者の表現手段は様々であると,実感しています。
彼女の仕事に関わる記事は、自分と大きく重なります。私は、仕事に支障が出るようなパニックは持っていませんが、その瀬戸際でやりくりしているはずです。この20年、「お前は仕事が出来ない奴」と言われているのではないかと、常に不安を抱えてやってきていますから。彼女の記事は、自分のこととして受け止めています。
紹介させていただいた、しーたさん、申ももこさん、まほろんさんをはじめ、最近はネット、リアル共に多くの発達障害者と出会うようになりました。
出会った仲間たちとうまくコラボすることで、何か出来そうな予感がしています。まだ本に書かれていない発達障害者観を、社会に発信していけそうな。
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「大人のアスペルガー つれづれ」
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実際にお会いすると、とってもすてきな「頼れる女性」です。
また、彼女との共通項に「演劇」があることを、この記事で知りました。
「発達障害と演劇」
私は、音響効果スタッフなら何とかなりますが、間違っても役者は出来ません。そのため、「アスペルガーに役者は無理」と思っていましたが。彼女はそれを見事に打ち破ってくれました。改めて、発達障害者の表現手段は様々であると,実感しています。
彼女の仕事に関わる記事は、自分と大きく重なります。私は、仕事に支障が出るようなパニックは持っていませんが、その瀬戸際でやりくりしているはずです。この20年、「お前は仕事が出来ない奴」と言われているのではないかと、常に不安を抱えてやってきていますから。彼女の記事は、自分のこととして受け止めています。
紹介させていただいた、しーたさん、申ももこさん、まほろんさんをはじめ、最近はネット、リアル共に多くの発達障害者と出会うようになりました。
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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル : 心と身体
感受性の豊かさと、その感情を自覚することの困難さ~お友達のブログより~
今回は、最近ブログを始められた私のリアル友達「申ももこさん」のブログを紹介します。
「私、自閉症です。」
http://ameblo.jp/shin-momoko/
非常に読みやすい文章、誰にも身近な内容、そして随所に論理的な解析が入っており、深いテーマであるにもかかわらず、そう感じさせないブログです。次がとても読みたくなります。
その中で、私がぼんやり考えてきたことと重なり、さらにその謎を解く記事がありましたので、引用しました。
「国語 ~読書感想文~」
「自閉症は、自分の感情を自覚することに困難があります。
脳には、自分の感情が現れる場所と、その感情を自覚する場所がありますが、自閉症の場合、その二つの場所がうまくつながっていません。
例えば、感情と、感情を自覚する場所が、一般的には50本の線でつながっているのだとしたら、自閉症の場合は、たった1本の線でつながっているだけです。
そのために、自分の内面の感情を上手に意識することができず、自分の気持ちに全く気が付かなかったり、時間が経ってからある日突然気が付いたりすることもあります。」
そう、自閉圏の多くの人は、感情(感受性)そのものがないわけでなく、感情を自覚(言語化)できないだけだと思います。私自身、そうでないと説明の付かない部分がたくさんあります。
私は、好き・嫌い、気持ち良い・悪いといった、主観的な判断が非常に苦手です。でも、自覚できなくても、好き・嫌いをちゃんと選んでいるようなのです。
好きな方では、私の趣味である自転車(乗るだけでなく、組み立て・メンテナンスも)やオーディオ機器・アマチュア無線機器の自作について、どこが楽しいかと聞かれると答えられませんが、夢中になれます。
嫌いな方では、どうやら無意識のうちに嫌いなものを避け、疲れてきたら休憩を取ったりするようなのです。例としては、ひどい肩こりにならない、近いところを見ることが多くても視力が悪くない(裸眼で運転免許の更新が出来る)、繁華街にはあまり出ないなど。
自覚できないだけに説明するのが難しいのですが、いろんな「状況証拠」を集めていくと、感受性(インプット)の問題でなく、それを自覚する段階(アウトプット)に障害があることが推測できます。
感受性は定型者より豊かかもしれません。過敏なのですから。そうでなければ、アスペルガーの芸術家が存在しないわけですし、科学者も感受性なくては出来ないはずです。後者は、理系の端くれとしての私の実感です。
ももこさん、今は小さな頃からの生い立ちを書かれています。今後の展開がとても楽しみです。
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「国語 ~読書感想文~」
「自閉症は、自分の感情を自覚することに困難があります。
脳には、自分の感情が現れる場所と、その感情を自覚する場所がありますが、自閉症の場合、その二つの場所がうまくつながっていません。
例えば、感情と、感情を自覚する場所が、一般的には50本の線でつながっているのだとしたら、自閉症の場合は、たった1本の線でつながっているだけです。
そのために、自分の内面の感情を上手に意識することができず、自分の気持ちに全く気が付かなかったり、時間が経ってからある日突然気が付いたりすることもあります。」
そう、自閉圏の多くの人は、感情(感受性)そのものがないわけでなく、感情を自覚(言語化)できないだけだと思います。私自身、そうでないと説明の付かない部分がたくさんあります。
私は、好き・嫌い、気持ち良い・悪いといった、主観的な判断が非常に苦手です。でも、自覚できなくても、好き・嫌いをちゃんと選んでいるようなのです。
好きな方では、私の趣味である自転車(乗るだけでなく、組み立て・メンテナンスも)やオーディオ機器・アマチュア無線機器の自作について、どこが楽しいかと聞かれると答えられませんが、夢中になれます。
嫌いな方では、どうやら無意識のうちに嫌いなものを避け、疲れてきたら休憩を取ったりするようなのです。例としては、ひどい肩こりにならない、近いところを見ることが多くても視力が悪くない(裸眼で運転免許の更新が出来る)、繁華街にはあまり出ないなど。
自覚できないだけに説明するのが難しいのですが、いろんな「状況証拠」を集めていくと、感受性(インプット)の問題でなく、それを自覚する段階(アウトプット)に障害があることが推測できます。
感受性は定型者より豊かかもしれません。過敏なのですから。そうでなければ、アスペルガーの芸術家が存在しないわけですし、科学者も感受性なくては出来ないはずです。後者は、理系の端くれとしての私の実感です。
ももこさん、今は小さな頃からの生い立ちを書かれています。今後の展開がとても楽しみです。
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